土浦交響楽団演奏会史 (1976年-1996年) (1997年-2006年) (2007年-現在)
2006年11月19日
一曲目の「フィガロの結婚」は、29年ぶりに本団の創設者桑田先生がゆったりとしたテンポで指揮をされました。この曲の演奏のみのために練習に参加された団員も多く、演奏会が盛り上がりました。二曲目以降は佐藤先生の指揮で、交響曲史上もっとも有名な交響曲を2曲、原典版にて演奏することができました。
2006年5月21日
ベートーヴェンの交響曲第4番は土響初登場の曲。初めての曲の譜面をしっかり読み、オーケストラ全体で未知の曲を作り上げていくのはいつも新鮮です。 エルガーの「エニグマ」は84年の第9回定演以来。当時は抜粋でしたが、今回は初めて全曲演奏。
《団員のコメント》
以前『エニグマ』を取り上げたのはノバホールでの第一回目の定期でした。この時、私は初めてバストロを吹いたことを思い出しました。今から20年以上前ですもんねー。当時の人もだいぶ少なくなりました。(Tb.MS)
ベートーヴェンの4番の第四楽章には、ファゴットの高速タンギングのソロがあります。練習では完璧だったファゴット吹きは、本番で指揮者と目が合ったとたんに、グット緊張して舌がもつれそうになってしまいましたが、なんとか最後まで演奏(拍手!!)。(となりのクラリネット)
2005年11月20日
「アルルの女」の音楽は広く親しまれていますが、もともとは劇の伴奏に書かれたものでした。この演奏会では現在つくば市在住で「ひらけ!ポンキッキ」 のお姉さんとしても活躍された鈴木もえみさんをナレーターにお迎えして、劇の物語に合わせて演奏するという試みを行いました。「アルルの女」が、 音楽からはちょっと想像できない深刻な悲劇だったのには驚きました。
《団員のコメント》
それは、アンコールでの出来事。出だし、「あっ」と思ったら、逆弓。修正しようにも、コンミスの堂々と弾く様に圧倒されて、そのまま合わせて 数小節弾き続けてしまいました。後ろの混乱を思い浮かべながら苦笑するとともに、「私がルールよっ!」と言わんばかりの貫禄に、 改めて尊敬の念を抱いたのでした。(よわむしにゃんこ)
2005年5月22日
「第九」のリバウンドなのかどうか、ロシア音楽でまとめた演奏会。ラフマニノフの憂愁と憧れに満ちた旋律の美しさ、分厚い和音、 暗くしかも熱くたぎる情熱…ロシア大好き!
《団員のコメント》ラフマニノフの交響曲第二番は難しい曲で、まだ弾けないところが数多くあったのに、定期演奏会の1週間前、 アメリカに行かなければならなかった。会議出席のため、テネシー州ノックスヴィルという小さな町に行った。会議場のとなりはテネシー大学で、 小さな公園があった。そこに等身大の像が建っていた。像の下に、「ラフマニノフ、この地で最後のコンサートを行う」と書いてあった。 彼の死の1ヶ月前、テネシー大学での最後のコンサートを記念して像が建てられたのだった。アメリカにきてまでラフマニノフに会うとは!! これは、是が非でも演奏会にでなければと思った。会議の最終日をさぼって帰国し、翌日の演奏会にでた。演奏会にでたものの、 やはりラフマニノフは未消化のまま終わってしまった。来年6月の定期はラフマニノフのピアノ協奏曲第二番、今度は余裕をもって楽しんで弾けるようにしたい。(Vc.TI)
2004年12月11日
6日前の定期演奏会で一回本番を経験しており、それだけ余計な力が抜けてのびのび演奏できたのではないかと思います。 とは言え、一週間のうちに「第九」で二回の本番はプロならぬ身にはやはり大変なプレッシャーで、演奏後は「終わったぁ〜(へなへな)」 という感じでした。ソリスト、合唱団の皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。
2004年12月05日
小川町(現・小美玉市)から10年前の町村合併40周年に続き、50周年にも第九演奏会を実施したいとのお話をいただき、「ちょうど定期演奏会も第50回と きりがよく「第九」はふさわしい」ということで定期演奏会も「第九」になりました。合唱団・ソリストともに定期演奏会とその一週間後 (正確には6日後)の小川町での演奏会の両方で歌うことという条件で参加していただき、ソリストの方々はオーディションにより選ばれました。
オーケストラに合唱団、4人のソリストという大編成のため、土浦市民会館のステージでは広さが足りず、特設の張り出し舞台を組んでの公演でした。 6日後にもう一度同じプログラムでの本番を控えているため、演奏会後の打ち上げも満足感と開放感で爆発!…というわけにはいかなかったようです。
2004年7月11日
「G-CLEF」のピアニストとしてデビュー以来ジャンルの壁にこだわらず大活躍中の榊原氏による「ラプソディー・イン・ブルー」が圧巻。 これ以後榊原氏は土響内では「(大)巨匠」として崇拝の対象・不動の地位を占めることになるのでありました。
《団員のコメント》
打ち上げでのこと。(大)巨匠がなかなか来ない。なんと車が故障してしまっていたのです。ようやく車を修理屋に預けて1時間遅れで到着。 その後宴会は、ホルンの某氏がユーフォニアムを手に会場を練り歩く「ビドロ」の演奏などで盛り上がりました。 (大)巨匠は車を修理屋に預けて打ち上げ会場に向かっている最中、「早く団員のみんなとビールを飲みたい〜」と言っていました。 やっとの思いでありつけたビールはきっといつも以上に美味しかったに違いありません。(Vn.RM)
2003年11月30日
ブラームスの交響曲は演奏会プログラムの選曲で必ずといっていいほど毎回候補に上がるのですが、演奏時間が長い割に必要とする 楽器が少なめで、ステージに乗るチャンスが少ない団員が出てしまう等の事情もあって、実際にはあまり演奏する機会がないのです。 土響では1997年12月の第36回定期演奏会で第4番を演奏してから7年ぶり、満を持してのブラームスの交響曲となりました。 ところどころの黄葉、どこかもの寂しい石畳の古い街並み、北国ドイツの深まりゆく秋を思わせる第3番は地味ながらこの時期にぴったりの名曲です。
《団員のコメント》泣く子も黙る超有名曲ではありますが、土響では珍しいオペレッタの序曲。ブラ3との対比が絶妙でした。オッフェンバックの軽みに 対してブラームスの重厚さ。和声から見れば、片や単純明快あるいは退屈、こなた和声学のお手本のような細やかさ。「天国と地獄」と言えば、 我々の世代にとっては「カステラいちばんデンワはにばん〜」か、はたまたフレンチカンカンか(若い人にはわからないだろうな)。 いずれにしても、3大運動会音楽の1つ(あとの2つは、トランペット吹きの休日と道化師のギャロップ・・これは私の独断と偏見による)。 私は定演の演奏中に操り人形のシロクマ(しろねこ?)が瞼に浮かんで来てしまい、弾きながら思い出し笑いをこらえられなくなって、 聞きに来ていた知人から「演奏中にニヤニヤするな!」と怒られたのでした。えっ、カルメン組曲はどうだったかって?残念!もう書くスペースがない!(Cb. FT)
2003年5月31日
第39回定期演奏会(1999年5月)以来のフランス音楽プログラム。ベルリオーズの幻想交響曲(1830年初演)からプーランクの「牝鹿」 (1924年バレエ初演、組曲版は1940年完成)まで約100年間のフランス音楽の変遷を俯瞰する好企画。ただし演奏する側にそれほどの余裕が あったかどうか…?ヨーロッパ各国での演奏経験に裏付けられた久保田氏の指導で、土響の音もいつもとは一味違っていました。
2002年12月1日
明るく暖かい雰囲気の前半2曲と、ベートーヴェンの交響曲の中で最も柔和でしかも充実した第6番「田園」の組み合わせ。 土響にとっては久しぶりの対向配置での演奏。中でも、コントラバスが後ろ一列に一斉に並んだのは壮観でした。
2002年6月16日
前年のイタリアシリーズが一段落して、地味ながらおちついた中欧の雰囲気をじっくり味わうコンサートとなりました。 ブラームスの二重協奏曲を若いソリスト二人が熱演。
2001年11月25日
前回に引き続き「イタリア」がテーマになったプログラム。オペラにご経験のある岡崎氏がこの演奏会のために自ら編曲された 「ヴェルディ・ファンタジア」は一曲でヴェルディの名旋律を堪能できました。アンコールでは歌手でもある岡崎氏が指揮をしながら 自慢の喉を披露、土響団員の松本兄弟がマンドリン・デュエットで伴奏するという演出つき
2001年6月17日
メンデルスゾーンの曲は特に弦楽器に対する要求が高く、聞いて楽しいにもかかわらずアマチュアにとっては難曲。 この年が「日本におけるイタリア年」であったのに因んで、こんな機会でもなければなかなか踏み切れない(?) メンデルスゾーンの「イタリア」と、イタリアの名門旧家同士の軋轢に翻弄される若い二人の悲劇を扱ったプロコフィエフの 「ロミオとジュリエット」に挑戦しました。
《団員のコメント》 「イタリア」は木管にとっても難曲です。クラリネットが出だしの「ラタタタタタ・タタタタタタ」 の連続をインテンポで出来たのは本番当日だけでした。また「ロメオとジュリエット」で活躍したバスクラリネットは最低音Cまで出る特殊なもの。 92年に同曲を演奏した際、土浦周辺に楽器を探したがみつからず、ウン十万で購入したものです。(Cl. AY/YT代筆)
2000年11月5日
やや地味な印象ながら、親しみやすい旋律と充実した内容の曲を集めたプログラム。これまでの演奏会でかなり濃い曲が続いていた土響も、 今回はのびのびと楽しんで演奏できました。坂田克志さん(現2ndヴァイオリンパートリーダー)はこの演奏会を最後にコンマスを引退。 ドヴォルザーク交響曲第8番で、第二楽章のをソロを見事に歌い上げました。
2000年6月4日
ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、ピアノ協奏曲とは言いながら交響曲に匹敵する内容を持つ重厚な大作。対するシューマンのさわやかな ロマンティシズムあふれる春の交響曲。ドイツ・ロマン派の醍醐味ここに極まったともいうべきプログラム。ピアノの梅原氏は独特の人柄で 「梅さん」と慕われ、梅さんファンの団員は土響への再登場を熱望しています。
1999年12月5日
このところロマン派の大作に続けて取り組んでいた土響ですが、アンサンブルの基礎や音楽の骨組みをしっかりと築き上げる力を磨きなおそうと、 オーケストラにとって基本的なレパートリーであるベートーヴェンの交響曲をメインプログラムにすえた演奏会。ベートーヴェンは指揮者の森口氏が 演奏中に勢い余って眼鏡を落とすほどの熱演!
1999年5月23日
これまで土響はラヴェル、ドビュッシーなどフランスの作曲家の作品をあまり取り上げてきませんでしたが、鈴木氏の懇切かつ明快な指導により 5年ぶりに挑戦。ゲストコンマスに当時国立音大3年生の松本佳秋氏。
《団員のコメント》
華やかな管弦楽曲2曲を組み合わせたプログラム。演奏者側も聴衆側もオーケストラの魅力をたっぷりと堪能できました。オーケストラは日本語で「管弦楽団」。 これって当たり前のことだけれど、この曲に関しては、打楽器奏者から異議申し立てがありそうです。こんなに打楽器が活躍する曲をやるときには、 「管弦打楽団」と呼んでほしい‥‥と。(Cb. FT)
1998年11月15日
日本を代表するトランペット奏者の神代(くましろ)氏は地元・常総学院高等学校の卒業生(第1期生)かつ同校評議員でいらっしゃるというご縁もあり、 出演を快諾していただきました。
《団員のコメント》
ソリストはつくば市出身の神代修氏で、曲はフンメルのトランペット協奏曲。筑波山麓にある青年の家で行われた秋合宿で、初めてのソロ合わせが行われた。 フンメルの練習時間になったがソリストはまだ現れていなかった。どうしたのだろう、道に迷ったりしたのだろうかと心配した。指揮者のタクトがおり、 曲が始まってしまった。ところが、ソロの出番のところにくると、どこからかトランペットの輝かしいファンファーレが聴こえた。 こんなソリストとの出会いも珍しいが、何より柔らかなトランペットの音色にすっかり魅了されてしまった。指揮者は、何事もなかったかのようにそのまま曲を 最後まで通した。練習後、ソリスト曰く「練習場所は思っていたより遠かったです」。(Vc.TI)
1998年5月17日
モーツァルト(協奏曲)⇒モーツァルト+チャイコフスキー(「モーツァルティアーナ」)⇒チャイコフスキー(交響曲)という鮮やかな流れ、 しかもチャイコフスキーの2曲は「4番」つながり、起承転結・生々流転、美しくも説得力あふれる究極のプログラム構成!
モーツァルトのフルート・ソロは土響フルート首席の山口直美さん。現役団員のソロで協奏曲を演奏するのは土響としては1984(昭和49)年の 土浦市民音楽祭での演奏(モーツァルト:ホルン協奏曲)以来のこと。ちなみにこの時の指揮者は現・団長の高野さんでした。
1997年12月7日
前の回から指揮者をお願いした鈴木織衛氏がベートーヴェンの協奏曲のピアノソロを弾きながらオーケストラを指揮。普通の人は どちらか一方だけで精一杯なのに、この人はクラシック界のアーモンドグ○コや!(一粒で二度おいしい)
1997年6月29日
土響初のブルックナー。俗に「原始霧」と呼ばれる開始から頻発するトレモロの連続にひたすら耐える弦楽器、伴奏らしい伴奏もない 裸同然の大ソロに捨て身で挑む管楽器、全ての楽器が同じ音でなければならないユニゾンでは音程とバランスの悪さがバレバレに…。 高い音域での絶妙のアンサンブルが要求されるワーグナーとともに、練習に大変苦労した演奏会。